石井政之の作業場

石井政之  作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会。---有料マガジンの登録をお願いいたします

オバマ大統領がAIについて語る

 ブログは、自分の知見を広げるために読み書きする。そのためのツール。

 こういう記事に出会うと、インターネット社会は素晴らしい、と思う。

 私はAIというものは、「すべてをロジカルシンキングで詰めていく作業を効率的にやっている連続的な営み」だと思っています。

 そうなると、かなり高い確率で、非効率的な人間の営みは排除されていくように,システムは動き出す。

 そのような環境では生きることができない人は多い。たとえば、子ども、障害者、老人、病人。心身共に絶好調で、ロジカルに思考し,行動できる人間だけが適応できる社会というのは、怖い。

 社会全体が高性能パソコンになって、人間はそのなかで生きるひとつのチップにすぎない、というようないやなイメージが立ち上がってしまう。

 大ヒット映画、「ターミネーター」が画いた世界では、感情をもった人間が、人間は滅亡するべきだという合理的な結論を出したAIマシン「スカイネット」と闘う。

 AIが普及した社会では、非合理的で、感情的な、いかにも人間的な営み(とくに仕事)をできるだけ排除して、合理化していく方向に動く可能性があり、そうなると、多くの失業者がでてきそうだ、と予測されている。

 AIは、多くの失業者を生み出して、社会を新しいかたちでつくりかえていく。

 ターミネーター的な終末的な世界よりも、こっちのほうが、現実になるのでばないか。

 予測できることは現実になる可能性が高い。

 


WIRED Frontiers Ep2 FutureofArtificialIntelligence

wired.jp

 

自閉症に限らず、より広義のダイヴァーシティの問題でもそうなんですが、市場原理に決定を委ねてしまうときに、得てして問題は起きるんです。アインシュタインのようになってほしいと自分の子どもに願うのは極端だとしても、普通の子どもに育ってほしい」と考えることは、それ自体で、社会的利益を最大化することを阻害してしまいます。

BO それは、AIを語るうえで格闘しなければならないさらに大きな問題につながる。人を人たらしめているのはわれわれの欠点だ。突然変異や外れ値や欠陥があるからこそアートや発明といったものがある。違うかな?

完璧なシステムがあったとしたらそれはどんなものか。おそらくスタティックなはずだ。人間を人間たらしめるのは何か、われわれを生かしているのは何か。ダイナミックであることや驚きだ。そう考えると、驚きを排除してすべてが精緻に間違いなく動くことは、いつ、どのような状況においてであれば望ましいのか、という問題になる。

 

 

AIの実装が進み、社会が潜在的に豊かになるにつれて、生産と分配の間の関係、仕事量と生産量の相関は間違いなく弱まっていく。なぜならコンピューターが多くの仕事を担うことになるからで、その結果、何にいくらを支払うのが適正かという判断は、より難しくなる。

例えば教師という仕事は本当にハードで、コンピューターがこなすのは極めて難しいにもかかわらず、彼らの賃金は不当なまでに低い。つまり、わたしたちは、何を価値とするか、ともに暮らす共同体として誰にお金を払いたいかということを考え直さなくてはならなくなる。教師、看護師、介護士、主婦や主夫、アーティストなど、価値ある仕事をしているにもかかわらず十分な対価が払われていない人々について、きちんと話し合うべきなんだ。

 

 

マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝

マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝

 

 

書籍とのつきあい方 メモ

 書籍とのつきあい方についてのメモ。

 結婚してから、本格的に蔵書の整理をするようになった。
 独身時代は書籍と資料に囲まれて生活していたけれども、いまはそういう環境ではなくなった。
 時間はかかったけれども、今のほうが快適になっている。


 まず、断捨離をした。不要な書籍類の売却、廃棄処分である


 蔵書不要かどうかの判断基準
 以下の書籍は「蔵書不要」と判断する。
(1)再読の可能性がない
(2)再読の可能性があったとしても図書館で入手が可能なロングセラー、名著。
(3)すでに情報が古くて、所蔵する必要なし。
 1と2については、速く判断できる。3については、判断が難しい。よって、蔵書が片付かない。判断保留物件として、意識しながら、捨てる時期をみて、捨てていく。捨てても困らないとわかれば、また捨てる、という方法でゆっくり減少させていく。

スキャンする判断基準
(1)希少価値があって、かならず再読すると思われる書籍。
 これも判断が難しい。英文書籍がこれに当たる。結局、スキャンする価値ある書籍は、そのまま蔵書することになった。
(2)貴重な資料は、A4サイズで統一してスキャンで保全した。
 これは整理するまでにかなりの時間を費やした。

日常の書籍の取り扱い
(1)基本的に図書館を活用する。
 名著、ロングセラーは図書館で借りて読む。どの図書館でもたいていは入手可能なので、これは便利。書き込みたいことがあれば、メモしてブログ等にアップすることで蔵書リストになる。
(2)購入する書籍の基準
・実用書、教科書
 これは書き込みをする書籍。役目を果たしたら廃棄処分。会計、資格、語学などがこれに相当する。
・ミステリー系、エンタメ系の文庫 ノンフィクション単行本
 読了後、3ヶ月に1度くらいにまとめて古書店に売却。
ユニークフェイスに関する書籍
 これらは厳選して購入して蔵書。本棚の空間が限られているので、その空間からはみ出るときは電子化して保存する。

ほとんど購入しなくなったもの
・雑誌
(インターネット経由で評判になった記事については、図書館で入手することがある)
自己啓発書
(一時期は集中的に読んでいたけれども、これらの情報はネットで収集できるようになっている。ブックマークしておけば良い。内容が手軽でチープな書籍は、ネットで書評がでており、その書評などの記事で満足することが多い。)

 あまり力を入れてこなかった蔵書としては、電子書籍がある。ほとんど買っていない。再読可能性が高くて、内容が自分の人生にとって重要なものは、購入する量が増えていくと思う。

 いろいろ書いたけれども、20年を超えて保管している書籍や資料はある。それはライフワークになる情報なので、ずっと持ち続けるしかない。蔵書方法は、実物か電子化するかはどっちでもよいと思う。

 

本で床は抜けるのか

本で床は抜けるのか

 

 

 

『原爆の絵 ナガサキの祈り』(NHK長崎放送局)の迫力

読書メモとして。

『原爆の絵 長崎の祈り』(NHK長崎放送局編)を読んだ。

画集なので、読んだ、というより、見た、といったほうが良いのかもしれない。

刊行年は2002年。

1945年8月9日の被爆から58年の歳月を経て、被爆者にその記憶をたどってもらい、新たに絵を書いてもらったという。

この「原爆の絵」で展覧会を開催し、それが書籍になっていた。

長崎原爆についてこの本を手に取ったのは、『原爆供養塔』(堀川恵子著)の影響である。

同じ被爆でも、広島よりも、長崎のほうが、あまり情報が出ていない。

広島は世界初の原爆被害だったので、歴史的な意味はたしかに大きいが、広島と長崎を比較すると、長崎のほうが扱いが小さい。

図書館にいっても、長崎のほうが蔵書が少ない。

長崎の被爆について、すこし勉強しようと思ったのである。

まずは、文字数の少ない画集から、とハードルを低くして選書した。

きわめて情報量が多い画集だった。

被爆経験者の記憶と、画力が、おおきな力になって迫ってきた。

薄い書籍だけれども,ずっしりとした重みがある。

生存者の多くが、地獄を見ていた。

そして、生き残った人間として、簡単に語ることはできない、という思いでいた。

広島の原爆資料館を訪問したとき、被爆者の絵は見たことがある。 

記憶はもう薄らいでいるが、見おわったあとに、おおきな疲労を感じたことは覚えている。

この本にも、それと同じような力があった。

 

ishiimasa.hateblo.jp

 

 

原爆の絵ナガサキの祈り

原爆の絵ナガサキの祈り