日本世間学会
http://www.unicahier.com/SEKEN/seken.html
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/jidai/0307/ji_307_030705.htm
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/jidai/0307/ji_307_030712.htm
メモ
世間学と、他者からのまなざしの関係
平等主義感覚と、微細な差異感覚を増幅させる社会システムとしての世間
対人恐怖が日本社会で多い背景→世間
カオナシでメディアに登場する日本人と世間
共同体から異質であると烙印をおされることによる、排除という制裁。その主体としての世間。
書き言葉ではない、非言語コミュニケーションによる排除によって、痕跡なき制裁が可能になる、世間型制裁手法
制裁の主体がない世間との戦いにともなう精神的疲労。
世間の力学を無視する、周囲の空気を読むことができない指示待ち族としての人間が、世間を破壊する可能性と、世間を肥大化させる可能性
世間によって救われるときと、見捨てられるときの両義性の調整弁は何か
書きかけのメモ
世間とユニークフェイスに関する思考メモ カミングアウト恐怖症を生み出す世間
資生堂本社での講演で、私はこんなことを話した。
「欧米の当事者と比較して、日本の当事者たちはカミングアウトをほとんどしない。これを私は『カミングアウト恐怖症』と呼びたい。ずっとこのことを考えている。今は、とりあえず、顔出しダメ、名前出しダメ、という一般的な当事者のことを「カミングアウト恐怖症」になっていると仮に定義をして、そのうえでなぜそうなるのか? を考えていく必要があると思う。「カミングアウト恐怖症」になっている当事者としては、ハンセン病の元患者がいる。やはりカミングアウトをしている人は少ない。社会的に発言している人の大部分は男性ということもユニークフェイスと似ている。
ひとつの仮説として、日本では病者がカミングアウトできない風土がある、と言える」
同じことを、先日、患者学会の打合せで話したところ、別の疾患当事者も、カミングアウトしにくい空気があると言った。
そんなとき、「世間学」という存在を知った。http://www.unicahier.com/SEKEN/seken.html
「世間学」の枠組みで思考すれば、ユニークフェイス当事者がカミングアウトしない構造が説明できるような気がしている。日本は諸外国に比較して対人恐怖症が多いことが知られているが、このこととユニークフェイス問題も密接に関係している可能性がある。美容整形当事者がカミングアウトしないこととも関係しているのだろう(テレビでその映像が消費されることは増えてきたが)。ネットで匿名日記が多いことともきっと関係している。
なにを研究しようが、日本とは何か、という問題につきあたるのだろう。このような限界を乗り越えるためには、英語で直接、他者の思考を学ぶべきだとおもう今日この頃。英語圏で語られている個人と、日本でいう個人とは、まったく違う、という思考方法は重要。言語よりも空気を重視する、察知型コミュニケーションを好む、とか、まだ考えるべきことは多い。
カミングアウトした当事者は、世間から目立つ。このような逸脱行動は、世間に生きている人間にとっては疎ましい異人になる。ゆえに、排除のメカニズムが起動する。このことを日常生活のなかで熟知した者は沈黙を堅持して生きることになる。
だいたいこんな構造かな。ゴッフマンを読んでも、ピンと来なかったのは、前提にしているのは欧米人であって、日本人ではないためだったからだろう。
日本人は、苦しい経験をしたとき、言語化することよりも察してもらうことを永遠に期待する傾向がある。言語化しないと、他者には伝わらないのだが、同じ日本人であるという、共同幻想にすがる。すがっても、すがられた側の普通の顔をした日本人は、異形の人間を、同じ日本人とは考えていない。ここにディスコミュニケーションが形成されるのである。しかし、日本では、ディスコミュニケーションが形成されたとしても、その気持ちわかります、ディスコミュニケーションは形成されていないよ、という「共感の偽装」が起きることがあるために・・・・ときりがない。今日はこの辺で。
宿題
ハンセン病の元患者当事者の手記のリストアップ
他の疾患当事者で、カミングアウトした人の男女比の比較
カミングアウトする当事者の世代の傾向(中高年。20代の若者、十代。親)