ベストセラー小説『悲しみのイレーヌ』を読了。以前に、同じ著者の作品『その女、アレックス』を読んでおり、その小説のクオリティの高さに驚いて、「イレーヌ」も読むことに。
劇場型の猟奇殺人嗜好のシリアルキラーと、身長145センチの敏腕刑事カミーユが、フランスを舞台に対決するというストーリー。被害者の女性は売春婦で、バラバラ殺人などの犠牲になっている。最後は、カミーユの妻(妊娠中)が、この犯人に殺害されてしまう。作者は、この犯人の猟奇性と、主人公カミーユの仕事とプライベート生活を丹念に描写していく。反吐がでるような残虐シーンを淡々と書いていく。しかも読みやすい。その残虐性が、虚構とは思えないリアルさに満ちている。犯人の猟奇性への強烈な意志についても、そういう人間が本当に生きている、そして女性を襲い続けている、という実感をともなった手触りがある。この作者の描写力と、小説の構成力、エンタメを構築する能力は卓越している。ベストセラーになることはよくわかった。読んだ人間は、語りたくなる。でも、その残虐性のために、ひそひそとしか語れない。内容を語ると、そんな小説読みたくない、となるはず。
それでも読んでしまって、こうしてブログを書いている。
オススメはしたくないが、こういう作品がベストセラーになっている、ということは重要だ、と思うから。
もう私たちは残虐性について目を背けることはできない。
ISと欧米先進国連合との血で血を洗う戦争。連続的なテロ攻撃による市民の虐殺。こうした残虐なニュースを毎日読むことで、世界には残虐行為をすることをためらわない人間が一定数いる、という事実を学習している。しかし、戦争は国家という巨大組織が進行する事業である。それゆえに、一市民が全体を理解することは難しい。
ひとりの猟奇殺人犯がいる。ひとりの刑事がいる。数人の被害者がいる。
こういう小さな枠組みであれば、人々は理解することができるのだ。
残虐性という意志が、人間には組み込まれている、ということを。
猟奇性と、連続性は、ひとりの凶悪殺人者だけに宿るのか?
読了したあとに、気分が悪くなる。
殺すことに快楽を覚える。そういう人間の肉声が、虚構ではあるが、伝わってくるからだ。