石井政之の作業場

作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会

アイデアと体力










朝のジョギングが聞いてきたのだろうか。アイデアが出始める。



マンガ企画をスタートさせることに。漫画家は私が直接依頼して即決。版元は未定。企画書も書いていないけれど決定。いまから半年で構想を固めて、来年の今頃刊行予定。このマンガ売れるぜ。



例によって不況対策を練る。



本とコンピュータ」最新号特集、「本のためにコンピュータはなにができたか」



は秀逸。ライターにとって必読の智恵がぎっしり。とくに刺激を受けたのは小熊英二氏の執筆方法。こういう第一線のライターの執筆方法がいまはどんどん公開されていく。いい時代だ。



文庫について



「顔面バカ一代」が講談社文庫にはいったので、いい機会なので、文庫に至った経緯をここに報告しておきます。なぜかというと、「なぜ文庫にできたんですか?」と同業者から問われることが、いまからわかっているからです。



 まず親本「顔面漂流記」が4刷で累計6000部になったとき(2002年9月)、絶対に文庫になると思いました。4刷りは評価できる。(この数字を評価しない編集者は、わたしにとは縁がない、と割り切りました)。



 それからは、編集者に会うたびに「文庫にしたいんですよね」と言うことを習慣づけました。本当に文庫化したいのだから、習慣もなにも簡単に言えます。他の仕事のときでも言う。「最近、何を書かれていますか? 調べていますか?」と聞かれても、「文庫にしたいと思っているんですよ。累計6000部なんですけど」と言う。そういうことを繰り返していると、耳を傾ける編集者が現れたということです。それだけ。



 出版業界はコネと人脈が大切、という古い慣習の残る業界ですが、私は文庫を出した経験がないので、文庫にする方法は知らない。周りに聞いたこともありません。なぜかというと、わたしの周りには文庫経験者がいなかったからです。



 話をもどします。とにかく、文庫になるならば、親本の改訂も辞さず、売れるためなら工夫しますよ、と言う。これくらいの会話は3分もあれば終了するので、「では本題ですが」と本来の話を進めれば問題なしです。そりゃあ中には「私は文庫担当ではないので」といってそれ以上、話に乗ってこない人もいます。それはそれでいいんですよ。それが普通です。でも、私は文庫をしたいので、そのために数分ほど「独り言」を言うのです。それくらいのことはできます。



 というわけで、私には講談社に強力なコネも人脈もありません。



 文庫のために積極的に語ろうと思ったのは、幻冬舎から「虚貌」というミステリが出たときです。同書の巻末参考文献に「顔面漂流記」があった。このミステリは、アザのある刑事が、火傷のある犯人を追う、というマニアックな設定で、「顔面漂流記」がなかったら成立していない本。(うまく俺の本のエッセンスをぱくったなぁ、と思いました)。そこで幻冬舎の担当編集者宛に、文庫にして欲しい、と簡単な手紙を書きました。幻冬舎の社風は知っていました(同社は編集者の権限が大きいし、売上が見込めない本の企画は通らない。同社の設定している売上のハードルは高いです、はい)ので、その程度のラブレターで編集者が動くことなどないことは百も承知。でも、書いたのは、万が一の可能性に賭けたため。案の定、返事は来ませんでした。一切落ち込まず、またいつものように「文庫にしたいんですよね」と独り言を誰かれ構わずに言うわけです。



 というわけで、文庫にしたい親本をもっている著者は、この方法を試してみてはいかがでしょうか。営業コストゼロです。



 ながながと書いたのは、この程度のノウハウさえフリーランスライターは分かち合っていないような気がするからです。



 ひとつだけ確信がありました。



 わたしが自分から積極的に動いて話さなければ、文庫にはならない。



 「文庫化しませんか?」という話が見ず知らずの編集者から突然舞い込むと夢想したことは一度もありません。



しかし、わたしの矮小な予想を覆すことは起きます。何が起きるかわからないのが人生。講談社に決まって、1ヶ月も経たないうちに、他社から文庫の依頼が手紙でぽーんときました。まったく見ず知らずの編集者からでした。「肉体不平等が面白かったので、顔面漂流記を読んで決めた」と。惜しかった! 



 以上です。おしまい。



 とここまで書いたのは「迷いの体 ボディイメージの揺らぎと生きる」を文庫化したいため。検討してくれる方からのメールを待っています。