「オペラ座の怪人」を見てきました。実は、わたし、この題材について演劇、映画ともに見たことがありませんでした。小説も積ん読状態だったので、イカン! と一念発起してみてきました。
以前、口唇口蓋裂を猟奇殺人のネタにした映画「レッド・ドラゴン」を、口唇口蓋裂の当事者が批判していたことを「週刊金曜日」に書いたことがありますので、差別と表現という視点でどうだろうか、と思いつつ吉祥寺の劇場へ。
きっちりした出来映えの映画でした。顔面にアザやキズのある人にたいする偏見と差別を、エンターテインメントの手法できっちり見世物にしているという点では伝統的。
同作品については予備知識をもたないままに映画を見たので、事実関係を文献などで検証することなく書いてしまいます。
まず、このファントム(怪人)になった男は、顔の右半分に生まれつき大きな疾患がある。映像を見る限り、これは単純性血管腫か、膨張性血管腫。
母親はその容貌を嫌い、男の子を見世物小屋に預けてしまう。
その男の子は、ずだ袋を顔にかぶせられて、檻に閉じこめられている。その容貌も見たいという客は檻の前にたち、客引きの中年男性が男の子の顔にかぶせた袋を取り去り、客は悲鳴を上げて楽しむ。
あるとき、この男の子は、客引きの男を絞殺。その現場を目撃したバレリーナの卵の女の子が、劇場の地下室に匿う。そして月日は経ち、その男の子は、音楽と劇作に才能を持ちながらも、人前に決してでない「オペラ座の怪人」になってしまう。
気になったのが、この怪人は童貞であるという設定。
アホか、と思いましたよ。地下でずっとマスターベーションをしていたということになりますからね。
それに、才気あふれる人は、容貌に関わりなくもてる。
結末で、怪人が死ななかったことはまずは良し。こういう物語の場合、顔に特徴のある人は殺害されるか、自殺するかしますので、生き残るのはいい。隠遁者という設定も「あぁまたか」という感じはしますがね。死よりもマシでしょうか。
それから映画が始まってはじめの30分くらい、この怪人役を、ビートたけしが演じていたとしたら、この歌姫を強姦して(「血と骨」の影響でしょうね)・・・・というシミュレーションしてしまいました。
このシミュレーションをしたのは、顔に疾患のある人は性的な存在として描かれることがまずもって「ない」からなんですね。
そんなことを考えさせる、なかなか素敵な映画でした。