大阪で編集者として働いていたとき、周囲に脳死反対論者が身近にいたため、脳死、という言葉を聞くと、脳死は人の死かどうかという基準についての議論を詳細に知らないと語れないという雰囲気を感じて、とうんざりしていたのだが、今になって勉強をしなおしてみると、脳死をめぐる議論は奥が深くおもしろい。
立花隆の仕事の大きさを改めて知ることになってきた。
生体肝移植を推進した患者会リーダーの肉声は、現実をつくってきた人間としての迫力に充ちている。問題はすでに明らかになっているのだが、その声が届いていないのだ。
治療による回復、完全に健康になりたいという欲望について下調べはつづく。
似非科学をパロディ化するための資料も再読しておかなければ・・・。