石井政之の作業場

作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会

フリーライターの友人を偲ぶ

今日は、亡くなった、ライターの友人のお通夜。豊橋から関西へ弔電をうった。
今夜は、静かに、その人を偲ぶ。
関西人。阪神大震災の被災者。フリーライター。何冊か単行本を書いた人だ。私と何冊か共著を出した。東京と関西は、ネットでつながり、仕事は普通に協働できた。
私と違い、その人は目立ちたがりではなかった。フリーライターだ。名前が出ない仕事をコツコツやっていた。野心のない人だった。
孤独についてよく話し合った。私は孤独が気に入っていた。年長の彼女は、孤独を嫌いながらも孤独をよしとしていた。
医療に詳しいライターだ。互いの持病について話した。互いに、自分たちよりもたいへんな難病に詳しいから、なんとかなる、たいしたことはない、と言った。
最後に話したのは、三年前だった。私が、東京を出て、結婚する前だ。転職したときに話した。彼女は、相変わらず、と近況。私は、変化の報告だった。
昨日、関西と関東から、訃報が来た。合計4人から。少し泣いた。三人と電話した。みな晩年の交流は薄かった。
享年55歳、のはずだ。
フリーライター。目立ちたがりではなかった。コツコツ生きていた。野心はなかった。真面目でいい人だった。
彼女から難病ALSについて学んだ。私は、編集担当だった。
地味な記事だった。内容に希望がない、と思った。彼女は、ヘルパーとして、その難病に関わった、という。なるほど、と思った。そういうライターなのだ。
現場は地味だ。たとえ、死に近い現場でも。
その人は、医療に詳しい人だった。その死の原因となった病についてもよく知っていたと思う。
合掌。
さようなら。


粥川準二さんの追悼文


http://d.hatena.ne.jp/KAYUKAWA/20110327