石井政之の作業場

作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会

人生はなんとかなる

 私は大学を卒業はしている。成績優秀だったけれどもベトナム旅行を終えて、フリーランスジャーナリストになろうと決めて、退学届を出して、教官に、馬鹿だな卒業なんか簡単だから卒業しろよ、と言われて、そうですね、と研究室に置いてもらって成績だけはトップクラスで卒業。勉強というのは時間をかければ成績はあがる。
 そのあとにフリーターになって、世界一周しようともくろんでまして、縁があって出会った医療問題専門弁護士事務所で事務員になって全国の医療訴訟専門弁護士と知り合いになった。で、低賃金だったので賃金上げろ人権侵害だ、と訴えたら、全国の弁護士から、石井の主張は不当である、という文書が出て辞職。そのあとにオーストラリアにとんでオフロードバイクのレース取材をしていた。赤字になって返済ために工場労働者になった。
 筋肉労働で体が疲れたときに飲み屋で出会った印刷会社社長に、ライターになるならばうちで働けよ、と誘われてアルバイト入社。半年後に正社員になるかどうする?と問われてフリーランスになります、と。そんな20代を思い出す。そのあとに、大阪の医療専門出版社さいろ社の取材記者になって名古屋から記事を書いてた。金を貯めて100万円をもって、ニューヨークに行って、ユニークフェイス問題を取材してカネがなくなった。帰国して3日後には、大阪のさいろ社に就職。2年ほどすると、経営危機なんで給料払えん、と言われて退職。33歳で上京して自著出版。手持ちの現金10万円。人生はなんとかなる。
 51歳になった今、まだ20年程度か、と思う。