石井政之の作業場

作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会

過労から、前向きに、しっかりと逃げ出すために、体験談を共有する

日本を代表する過労業界といえば、霞ヶ関の役所と、マスコミ。

マスコミの代表格のテレビといえば、ADという底辺労働によって支えられています。

その体験談が、出ていました。

憧れの仕事。けれども、中身は厳しい現実おてんこもりです。

withnews.jp

 

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 東京に住んでいたとき、ある起業セミナーに参加したことがあります。そこに、テレビ局の制作会社を辞めて、起業しようという女性がいました。その女性がテレビ業界で体験したことを語っていた内容と、上記の記事の内容はほとんど同じ。15年くらい状況は変わっていないんだな、と思いました。

  その女性は「編集のために会社に泊まり込んで徹夜を続けても仕事が終わらない。疲れ果てて帰宅すると、アパートで寝るだけ。体調が悪くても仕事。ほかに人がいないので仕方がない。あるとき限界がきた。涙が止まらなくなった。辞表を出して会社を辞めた。辞めて嬉しかったのは、太陽の下で歩けること。ずっと編集室とアパートの往復だったので・・・」と語っていました。いまもそのときの、疲れ果ててはいるけれども、もうあの過労状態に戻らなくてもいいんだ、という安堵感にあふれた表情を思い出すことができます。

 テレビ業界の構造的な問題なので、そう簡単にAD底辺労働制度は変わらないと思いますが、こういう体験をどんどん共有していくことで変化していくはずです。

 最近、友人の友人から聞いた話を紹介します。

 愛知県の片田舎出身の女性で、テレビ局志望。あるテレビ局から内定をもらうことができました。「ADからはじめてもらう」という局の意向を、親に説明したところ、親は大反対。本人も、ADの勤務状況をよくリサーチしていて、体を壊すことが確実と判断して、その道をあきらめる、と結論をだしました。

 これを聞いたときに、いい判断だったと思いましたし、愛知県の田舎にも、テレビ局のAD残酷奴隷労働の現実は知れ渡っているんだなー、ということがわかりました。

 興味がある人は、激務労働というのを、とりあえず、体験してみる。そして周囲を観察する。周囲の人間がどんどん心身不調で脱落するならば、ささっと辞表を出して旅に出る。そういう感覚で働くのがよい、と思います。おもしろい業界だけど、心身が壊れる、というのは、よろしくないですから。逆に、心身が健康な先輩が多いならば、そこは、エアポケットみたいな貴重な空間ですから大事に働く。そういうノリでいいんじゃないかな。

 とにかく体験の共有が大事。

 働いてみないとわからない、という時代ではないです。

 働くまえに、かなりのことが予測可能ですから。

 予測した上で、それでもその業界に人生を賭けたい、というならば働く。

 危険だとわかったら、さくっと撤退する。

 そのうち、AD過労死事件が起きて、遺族が訴える事件になるはず。報道されていないだけで、もう起きていてもおかしくないわけですから。

  楽しく働きたいですね。

 そのためにも、過労情報はウォッチングしていきます。

ルポ 過労社会 ――八時間労働は岩盤規制か (ちくま新書)

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