ノンフィクション作家の 安田浩一さんを中川淳一郎氏がインタビュー。
長文ですが、深く考えさせられる記事です。
深く頷いたのは、以下の記述でした。
安田:在日社会って一枚岩ではないです。在日コミュニティだって色々あります。一世二世、三世かってのがあります。育った環境にも違いがある。その人たちの言説はそれぞれあってもいいです。個々を非難すべきではないです。実際に、叩かれ、傷つく人間がいますし、傷つけている人間は可視化されています。それを僕らは過去には「そっとしておこう」とやっていた。いわゆる「寝た子を起こすな論」ですね。
――島崎藤村の『破戒』にある部落差別の問題と一緒ですね。
安田:そうです。目の前にある差別、差別の煽動に対してモノを言ったうえで、そこから先に動けばいい。モノを言えない社会の方が駄目だと思います。僕は、在日の人々に「お前も戦え」とかを言う気はない。それぞれの立場でやることをやればいい。現実にある差別に対し反論し、対抗言論をぶつける回路がなくなってしまったら、2013年以前の(カウンターがいなかった頃の)社会になってしまう。
僕は、自ら泥水を飲んだ人や、泥水の中で溺れ苦しんでいる人をたくさん見てきました。在日の中には、差別をされている人に時に駆け寄り、近づいて話を聞くことをやっている人もいます。差別のない在日がいれば、それはいいんじゃないかな。ただし、自ら泥水を飲んで、泥をはい回った人を批判するのはおかしいと思います。
マイノリティが一枚岩ではない、というのは、その通り。
障害者も、女性も、日本にいる外国人も一枚岩ではない。
そこを丁寧にふわけして議論していくことで、事実が見えてくる。
私は「カウンター」という行動が出てきたことは画期的だったと思います。
賛否はありますが、行動すると、どんなことでも賛否はあります。
これからも、カウンター、という「差別に抵抗する文化・行動」が
なくならないように、自分の出来るところで、
こつこつと何かを積み上げていくことが大事。
安田浩一さんの仕事では、「ネットと愛国」や在日外国人の就労についてのルポを読んだことがあります。
取材を積み重ねて、事実を掘り起こしていくジャーナリズムを形にされてます。