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こういう記事に出会うと、インターネット社会は素晴らしい、と思う。
私はAIというものは、「すべてをロジカルシンキングで詰めていく作業を効率的にやっている連続的な営み」だと思っています。
そうなると、かなり高い確率で、非効率的な人間の営みは排除されていくように,システムは動き出す。
そのような環境では生きることができない人は多い。たとえば、子ども、障害者、老人、病人。心身共に絶好調で、ロジカルに思考し,行動できる人間だけが適応できる社会というのは、怖い。
社会全体が高性能パソコンになって、人間はそのなかで生きるひとつのチップにすぎない、というようないやなイメージが立ち上がってしまう。
大ヒット映画、「ターミネーター」が画いた世界では、感情をもった人間が、人間は滅亡するべきだという合理的な結論を出したAIマシン「スカイネット」と闘う。
AIが普及した社会では、非合理的で、感情的な、いかにも人間的な営み(とくに仕事)をできるだけ排除して、合理化していく方向に動く可能性があり、そうなると、多くの失業者がでてきそうだ、と予測されている。
AIは、多くの失業者を生み出して、社会を新しいかたちでつくりかえていく。
ターミネーター的な終末的な世界よりも、こっちのほうが、現実になるのでばないか。
予測できることは現実になる可能性が高い。
WIRED Frontiers Ep2 FutureofArtificialIntelligence
自閉症に限らず、より広義のダイヴァーシティの問題でもそうなんですが、市場原理に決定を委ねてしまうときに、得てして問題は起きるんです。アインシュタインのようになってほしいと自分の子どもに願うのは極端だとしても、「普通の子どもに育ってほしい」と考えることは、それ自体で、社会的利益を最大化することを阻害してしまいます。
BO それは、AIを語るうえで格闘しなければならないさらに大きな問題につながる。人を人たらしめているのはわれわれの欠点だ。突然変異や外れ値や欠陥があるからこそアートや発明といったものがある。違うかな?
完璧なシステムがあったとしたらそれはどんなものか。おそらくスタティックなはずだ。人間を人間たらしめるのは何か、われわれを生かしているのは何か。ダイナミックであることや驚きだ。そう考えると、驚きを排除してすべてが精緻に間違いなく動くことは、いつ、どのような状況においてであれば望ましいのか、という問題になる。
AIの実装が進み、社会が潜在的に豊かになるにつれて、生産と分配の間の関係、仕事量と生産量の相関は間違いなく弱まっていく。なぜならコンピューターが多くの仕事を担うことになるからで、その結果、何にいくらを支払うのが適正かという判断は、より難しくなる。
例えば教師という仕事は本当にハードで、コンピューターがこなすのは極めて難しいにもかかわらず、彼らの賃金は不当なまでに低い。つまり、わたしたちは、何を価値とするか、ともに暮らす共同体として誰にお金を払いたいかということを考え直さなくてはならなくなる。教師、看護師、介護士、主婦や主夫、アーティストなど、価値ある仕事をしているにもかかわらず十分な対価が払われていない人々について、きちんと話し合うべきなんだ。
- 作者: バラク・オバマ,木内裕也,白倉三紀子
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