書店で購入して一気読み。面白かった。
著者の畠山さんとは、友人のライター、岩本太郎さんの自伝ノンフィクションの出版記念のイベントで初めて面識を得て、「『黙殺』は必ず買います、読みます」と約束。
こういう人間がいたのか、という驚きと、おかしみを堪能できるノンフィクションでした。
本書は「泡沫候補」と、マスコミや有権者に「黙殺」されてきた、人間たちを描いたノンフィクション作品だ。
第一章では、さまざまな選挙に立候補しては落選を続けている(当選回数ゼロ)、マック赤坂という人物の選挙に密着している。
奇抜なファッションで街頭で踊る、ということで知名度を上げていこうという戦略が、功を奏しているかどうかはわからないけれども、その現実にたちあった取材者として、できるだけ忠実に事実を記録している。
大手建設会社の会社員が、立候補しては落選を続けていく。しかし、当選して川西市長になる。地方政治で実績を出すものの、政争のなかで失職したり、再起したり。
日本国民の政治への無関心に怒って、先見放送で、あえて下ネタを連発する候補者の言葉を記録している。
人間ドラマとして面白い。
「泡沫候補」と揶揄されている人たちは、日本の選挙制度のなかで、供託金を支払い、煩雑な選挙書類を整え、家族や友人を説得して、その立候補という土俵に立った「選ばれし者」である、という著者の記述は、たしかにそうだ、と頷ける。
しかし、だからといって、その候補者が品行方正で真面目か?
決してそうではない。
彼ら、彼女たちは、欠陥だらけの生身の人間として、街頭に立ち、その政策、主張を訴える。
ほとんどの有権者に無視され、マスコミには「どうせ落選するんでしょ」と取材されない。
だから一般の人は、「泡沫候補」の人たちを知らない。
立候補しているけれども「透明人間」になっているのである。
その「透明人間」を、著者は、「無頼系独立候補」と呼び、愛情をもって書いている。
末期ガンの病床から立候補した人物。
そんな候補者がいたのか? いたのである。
そこまでして、立候補して訴えたい政策があるのだ。
候補者もいろいろ。政策もいろいろ。人生いろいろ。
マスコミが報じる「主要な立候補者」のまわりには、おもしろい人間ドラマがあるのだ。