「ブレードランナーの未来世紀」(町山智浩 著)を再読。
改めて映画評論の名作だと確信できた。
本当に革新的で、革命的なものは生まれなくなった。
あまりにも多くのものがすでに作られてしまった。
何をやっても誰かのレプリカになってしまう。メディアからの情報が朝から晩まで頭の中に入り続け、記憶のほとんどはメディアからインプットされたデータで、自分だけの生身の体験はどんどん小さくなる。
表現すべき自己などないのに「本当の自分」などと問い続ける私たちはみんな、レイチェルと同じ、自分が人間だと夢見ているだけのレプリカントなのだ。
自分だけの生身の体験は、ある。
あるのだけれども、その体験をしているときに、すでにメディアからの情報と比較している自分がすでにいる。
そこで、情報体験と、生身体験がミックスする。ミックスするしかないのが、いまの時代。
あらゆることは検索すれば出てくる。
私が、ユニークフェイスを始めたとき、その言葉の検察ヒット件数はゼロだった。
ここには未知がある、と確信できた。
たった20年前のことだ。
いまは検索すると出てこない言葉や概念はない、といっていいのかもしれない。
それでも、人間は体験することを止めることはできないし、
その初めての体験にともなう不安は消えることはない。
情報で不安は消えないのだ。
〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀 (新潮文庫)
- 作者: 町山智浩
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/10/28
- メディア: 文庫
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