石井政之の作業場

石井政之  作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会。---有料マガジンの登録をお願いいたします

障害は個性だろうか 

「障害は個性だ」、で検索すると、いろいろな議論がある。

 

障害と個性についての僕の考え。
ユニークフェイスについての執筆活動と、障害学を勉強した人間として。

障害、という言葉からは、差別、という現実を連想してしまう。

個性とは思えない。

障害があると差別される可能性が高まる。
差別の引き金になる身体的な状態を「個性」と表現するのは、
言葉の使い方が違うと思う。

acid attack 酸攻撃で顔面が破壊された女性に、その顔は個性、と言えるだろうか。

がんの後遺症をみて、その後遺症は個性だ、と言えるだろうか。

言えないと思う。

障害はスティグマ、であるということを知った上で、限定的に、個性、と表現できると考える。

当事者と、当事者でない人では、障害の捉え方は異なる。

上記のような思考を抜きにして、「障害=個性」、という単純化は、
障害のある当事者、差別される当事者から、「雑な表現をしている」、と思われるのでは。

「障害は個性だ」という表現は、障害を理解するための「入り口」に立った、ということを意味していると思う。

「入り口」のなかに入り込んだときは、障害はもっと複雑な意味をもちはじめる。

 

僕は、ユニークフェイスと個性について、ユニークフェイス当事者の経験から、いつもこう答えている。

ひとりひとりユニークフェイスの状態が違う。
だから、捉え方も、ひとりひとり違う。
ユニークフェイスな状態を「個性」という人もいるし、
いやなモノだと嫌悪している人もいる。
だから、ユニークフェイス当事者は考えることが多い。
ユニークフェイスは複雑。

 

参考

acid attack 酸攻撃について

Acid attacks | World | The Guardian

 

障害学の主張

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私家版 差別語辞典(新潮選書)

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