「障害は個性だ」、で検索すると、いろいろな議論がある。
障害と個性についての僕の考え。
ユニークフェイスについての執筆活動と、障害学を勉強した人間として。
障害、という言葉からは、差別、という現実を連想してしまう。
個性とは思えない。
障害があると差別される可能性が高まる。
差別の引き金になる身体的な状態を「個性」と表現するのは、
言葉の使い方が違うと思う。
acid attack 酸攻撃で顔面が破壊された女性に、その顔は個性、と言えるだろうか。
がんの後遺症をみて、その後遺症は個性だ、と言えるだろうか。
言えないと思う。
障害はスティグマ、であるということを知った上で、限定的に、個性、と表現できると考える。
当事者と、当事者でない人では、障害の捉え方は異なる。
上記のような思考を抜きにして、「障害=個性」、という単純化は、
障害のある当事者、差別される当事者から、「雑な表現をしている」、と思われるのでは。
「障害は個性だ」という表現は、障害を理解するための「入り口」に立った、ということを意味していると思う。
「入り口」のなかに入り込んだときは、障害はもっと複雑な意味をもちはじめる。
僕は、ユニークフェイスと個性について、ユニークフェイス当事者の経験から、いつもこう答えている。
ひとりひとりユニークフェイスの状態が違う。
だから、捉え方も、ひとりひとり違う。
ユニークフェイスな状態を「個性」という人もいるし、
いやなモノだと嫌悪している人もいる。
だから、ユニークフェイス当事者は考えることが多い。
ユニークフェイスは複雑。
参考
acid attack 酸攻撃について
Acid attacks | World | The Guardian