Twitterをみていると、ひとりのアメリカ人の訃報が目に入った。
ラリー・クレイマー。
私はクレイマー氏について何も知らなかった。どういう人物だったのだろう、と想像した。そのときひとりの青年のことを思い出した。
私はHIV陽性の外国人のパトリックという青年と20年間に雑誌の企画で対談したことがある。
DJをしていた人だったので、明るい対談になった。彼はエイズを、私はできたばかりのユニークフェイス当事者運動について語った。
対談当時、私はエイズについては、ひととおりの知識をもっていた。アメリカのエイズ事情について、名著とされる『そしてエイズは蔓延した』(ランディ・シルツ)を読んでいたからだ。
1980年代はエイズという感染症が、ゲイというマイノリティを襲い、多くの死者を出していた。これに対して、アメリカ政府の無策を厳しく追及する当事者団体があったことは知っていた。
その功労者の一人である、クレイマー氏が亡くなったのだ。
クレイマー氏のシナリオをもとに制作された映画『ノーマル・ハート』がAmazonプライムで視聴できることが分かった。さっそく鑑賞してみた。
驚くべき名作である。
私が注目したのは、この映画が、ゲイ当事者たちがエイズで死んでいくゲイのために闘い続ける現実をしっかりと表現しているところだ。
主人公が、同じゲイの当事者から、「その表現では社会に受け入れられない」「政府から嫌われてしまっては資金が提供されない」、と批判を浴びながらも、前進していくガッツがすごい。
おなじ当事者からの批判。政府からの圧力と無視。社会の差別と偏見のえげつなさ。
感染症の原因となるウィルスが特定されていなかった時期の、アメリカ社会のゲイにたいする差別と偏見がこれほどひどいものだったのか、と驚くべき描写が続く。
そして、エイズの症状のひとつであるカポジ肉腫が、死の兆候として表現されていた。
紫色のアザが、全身にひろがっていく。
ああ、そうだった。感染症と、外見の皮膚病変が結びつくと、激烈な差別と偏見が社会に湧き上がるのだ。
映画で描写されたカポジ肉腫が、わたしの血管腫(ユニークフェイス)と重なった。
エイズと同じような差別現象は、日本国内でも存在した。ハンセン病差別である。
ハンセン病当事者も、裁判闘争をして、日本政府に責任追及を迫った。その運動のなかで、当事者のなかに、裁判に反対する人たちと、あくまでも責任を追及する人たちとで、意見の違いが出ていた。
洋の東西をとわず、差別現象がおきたとき、激しく闘う道を選択するか、そうでないおだやかな解決策を模索するかで、当事者の意見は別れていく。
新型コロナウィルスによって、死の影が日常に忍び寄っている時代になった。
『ノーマル・ハート』は、感染症による危機は、これが初めてではないと思い出させてくれた。
映画のなかで、アメリカ政府の無為無策によって、亡くなった人たちの数は約3万人と示されていた。
ゲイだけの感染症だと見做されている間、政府は何もしなかった。
異性間での感染と、輸血による感染が明らかになってから、アメリカ政府は動き出している。
そしてエイズは蔓延した。
いまエイズは、死に至る病ではなく、薬物療法によって症状を抑えることができる難病になった。HIV陽性であることで、激烈な差別をうけることは人権侵害とされるようになっている。それは、クレイマー氏のような闘士の活躍があってこそだと思う。
当事者の闘う精神は、映画という表現によって伝承されていく。