武田徹さんのブログから(12月 9日(土)22時27分13秒)
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だが、そんなサイードが本の掉尾でタリク・アリの「真摯な知識人であり、ダンディであることは出来るのか、真摯なダンディであり、知識人であることは出来るのか」という最後(最期?)の質問に「両方の質問にはっきりイエスと答えよう。真摯な知識人だけが外見に関心を寄せることができると思っている。なぜなら外見はだいじだからだ。また外見に真摯に関心を寄せる者だけが、真摯な知識人になりうるし、精神的なことにも注意が向くんだ。なにしろ精神的なことは、それらが魅力的な外見となって表面に現れないかぎり、関心を呼ばないからね」と応えている。ぼくは何よりもこの言葉にサイードの不撓不屈さが結晶しているように感じた。故郷喪失者は、たとえ暫定的に過ぎなくても、その居場所に真摯にいようとしていたのだ。
久しぶりに武田さんのブログをチェック。
外見に気を遣っていないので耳が痛い。特に、普通の外見喪失者としてはなおさらに。
今日の読書