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書評 『フェイクニュースの見分け方』 (烏賀陽弘道著 新潮社)

 フリーランス・ジャーナリスト、烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)さんの最新刊。彼の著作はほとんどすべてを読んできた。ジャーナリストという仕事にプライドをもつ職人だと私は思っている。今回の著作のタイトルを見て、流行語としての「フェイクニュース」を盛り込んでいるので、売るために攻めているな、と感じた。
 読み始めて、オーソドックスなジャーナリズム論だと分かった。フェイクニュース(事実の裏付けのない偽ニュース)が、溢れてしまう現状とは、オーソドックスなジャーナリズムの実践がなされていない、マスメディアの衰退のひとつの形なのだ。烏賀陽はその事実を淡々と伝える。
 ひとつの例として、右派の政治組織「日本会議」について書いている。
 安倍政権を支える極右組織として話題になった「日本会議」という組織がある。複数の記者がこの組織の全貌を書いている。そのうちのひとつで、ベストセラーになった『日本会議の研究』(菅野完著 扶桑社)は、私も読んでとても感銘を受けた。なんとおおきな影響力のある組織なのだろう、と思った。
 烏賀陽は「日本会議」にどれだけの力があるのか、を公開情報から分析する。安倍政権を動かすだけの巨大な力をもっているのか? 刊行されているおもな日本会議についての著作を読み、安倍首相の動向を新聞記事から調べていく。安倍政権の政策決定に重大な関与をするような組織ではない、と烏賀陽は結論づける。
 その筆致には、彼自分のオピニオンと、調べあげた事実を、しっかり区分けして記述する慎重さがある。
 烏賀陽のライフワークのひとつは、福島原発報道である。未曽有の被害をもたらした原発被害を、クラウドファインディングの手法で取材費をかき集めて、独自の記事を提供している。
 福島第1原発の責任者だった、吉田昌郎所長(故人)についても、フェイクニュースの要素があるのではないか、と検証されている。吉田は、原発事故処理に命がけで立ち向かい、癌で死んだ。その英雄的な行為を賛美する報道が多かった。しかし、「本当に英雄なのか?」と烏賀陽は疑問を呈する。吉田は東京電力の社員として、原発津波被害予測を過小評価する立場にいた。この事実は、フリー記者の添田孝史著『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書 2014年)で明らかにされていた。すでに発表された情報とつきあわせると、吉田所長の原発事故後の獅子奮迅の働きは、吉田自身の過去の判断の失敗との戦いだった、ということが見えてくる。吉田が悪人というわけではない。組織の論理にはめこまれた個人、それが吉田なのだ。東京電力本店勤務の人間である吉田には、大地震とそれに伴う巨大な津波のリスクを正確に正直に、上にものを言うような考えはなかった。普通の人間だった。それが運命のいたずらで、福島原発事故の後始末をすることになった。この人間の複雑さを事実もって示すこと、それがジャーナリズムであるし、フェイクニュースを減少させるプロの仕事なのだ。
 「事実(ファクト)に基づいているのか、いないのか」それだけを問えばよい。そう、大事なのかはファクトなのだ。
 烏賀陽は、本書の末尾にそう書いている。
 読了後に私が感じたことは、事実の多面性である。正確さだけでは報道ではない。ある側面からみるとその事実は正確であっても、別の側面から見直すと、悪が潜んでいる。それが人間であり、組織だ、人間の営みとはそういうものだ。多面性を伝えるためには、より多くの事実を。矛盾にみちた多くの事実を付き合わせていくことで、人間や組織の全体が見えてくる。読み手には、その複雑さとむきあう知性が必要なのだろう。事実は常にひとつの欠片(かけら)でしかないのだが。だからこそ、その欠片を集め続ける人間が必要なのだと思う。

  

フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)

フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)