石井政之の作業場

石井政之  作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会。---有料マガジンの登録をお願いいたします

ネットとのつきあい方は、良質な情報発信者の文字を熟読することから

DeNAのキュレーションメディア騒動もひとくぎりついた時期。

こういうエントリーが出てきました。

www.landerblue.co.jp

 

どこの誰か分からない奴が書いたものなんて丸呑みするな。自分の発言に責任を持てる人の情報、正しいキュレーターから発信される情報をゲットできるようになれば、不安でいろいろ検索する必要もなくなるくらいの勢いです。不安なら検索でいろいろ調べるより、ちゃんとしたキュレーターとなりえるインフルエンサーをフォローしろと書いて本日を締めたいと思います。

 

 

その通り。

良質な情報に接するために、ブログなどのSNSとつきあう。

良書を選ぶように、フォローする情報は選んでおかないと、時間がいくらあっても足りなくなってしまう。

賛否両論がわかれる議論がでてきたときは、その道で10年以上の経験や学識を積んだ人の情報で確認する。

ネットで情報がないときは、図書館で確認するしかない、と割り切る。

そういう姿勢が大事なんだろうと思います。

日本のネット環境は、匿名が溢れているので、ネット情報は無法地帯になっている傾向はありますが、信念を持って正確な情報を発信している有識者、は確実にいますから、そういう人たちの見識から学ぶのが吉です。

匿名で面白いことを書いているひといます。

それは、噂ばなしの一種、エンタメの一形態、とみなせばよい、と思います。

 

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

 

 

オバマ大統領がAIについて語る

 ブログは、自分の知見を広げるために読み書きする。そのためのツール。

 こういう記事に出会うと、インターネット社会は素晴らしい、と思う。

 私はAIというものは、「すべてをロジカルシンキングで詰めていく作業を効率的にやっている連続的な営み」だと思っています。

 そうなると、かなり高い確率で、非効率的な人間の営みは排除されていくように,システムは動き出す。

 そのような環境では生きることができない人は多い。たとえば、子ども、障害者、老人、病人。心身共に絶好調で、ロジカルに思考し,行動できる人間だけが適応できる社会というのは、怖い。

 社会全体が高性能パソコンになって、人間はそのなかで生きるひとつのチップにすぎない、というようないやなイメージが立ち上がってしまう。

 大ヒット映画、「ターミネーター」が画いた世界では、感情をもった人間が、人間は滅亡するべきだという合理的な結論を出したAIマシン「スカイネット」と闘う。

 AIが普及した社会では、非合理的で、感情的な、いかにも人間的な営み(とくに仕事)をできるだけ排除して、合理化していく方向に動く可能性があり、そうなると、多くの失業者がでてきそうだ、と予測されている。

 AIは、多くの失業者を生み出して、社会を新しいかたちでつくりかえていく。

 ターミネーター的な終末的な世界よりも、こっちのほうが、現実になるのでばないか。

 予測できることは現実になる可能性が高い。

 


WIRED Frontiers Ep2 FutureofArtificialIntelligence

wired.jp

 

自閉症に限らず、より広義のダイヴァーシティの問題でもそうなんですが、市場原理に決定を委ねてしまうときに、得てして問題は起きるんです。アインシュタインのようになってほしいと自分の子どもに願うのは極端だとしても、普通の子どもに育ってほしい」と考えることは、それ自体で、社会的利益を最大化することを阻害してしまいます。

BO それは、AIを語るうえで格闘しなければならないさらに大きな問題につながる。人を人たらしめているのはわれわれの欠点だ。突然変異や外れ値や欠陥があるからこそアートや発明といったものがある。違うかな?

完璧なシステムがあったとしたらそれはどんなものか。おそらくスタティックなはずだ。人間を人間たらしめるのは何か、われわれを生かしているのは何か。ダイナミックであることや驚きだ。そう考えると、驚きを排除してすべてが精緻に間違いなく動くことは、いつ、どのような状況においてであれば望ましいのか、という問題になる。

 

 

AIの実装が進み、社会が潜在的に豊かになるにつれて、生産と分配の間の関係、仕事量と生産量の相関は間違いなく弱まっていく。なぜならコンピューターが多くの仕事を担うことになるからで、その結果、何にいくらを支払うのが適正かという判断は、より難しくなる。

例えば教師という仕事は本当にハードで、コンピューターがこなすのは極めて難しいにもかかわらず、彼らの賃金は不当なまでに低い。つまり、わたしたちは、何を価値とするか、ともに暮らす共同体として誰にお金を払いたいかということを考え直さなくてはならなくなる。教師、看護師、介護士、主婦や主夫、アーティストなど、価値ある仕事をしているにもかかわらず十分な対価が払われていない人々について、きちんと話し合うべきなんだ。

 

 

マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝

マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝

 

 

書籍とのつきあい方 メモ

 書籍とのつきあい方についてのメモ。

 結婚してから、本格的に蔵書の整理をするようになった。
 独身時代は書籍と資料に囲まれて生活していたけれども、いまはそういう環境ではなくなった。
 時間はかかったけれども、今のほうが快適になっている。


 まず、断捨離をした。不要な書籍類の売却、廃棄処分である


 蔵書不要かどうかの判断基準
 以下の書籍は「蔵書不要」と判断する。
(1)再読の可能性がない
(2)再読の可能性があったとしても図書館で入手が可能なロングセラー、名著。
(3)すでに情報が古くて、所蔵する必要なし。
 1と2については、速く判断できる。3については、判断が難しい。よって、蔵書が片付かない。判断保留物件として、意識しながら、捨てる時期をみて、捨てていく。捨てても困らないとわかれば、また捨てる、という方法でゆっくり減少させていく。

スキャンする判断基準
(1)希少価値があって、かならず再読すると思われる書籍。
 これも判断が難しい。英文書籍がこれに当たる。結局、スキャンする価値ある書籍は、そのまま蔵書することになった。
(2)貴重な資料は、A4サイズで統一してスキャンで保全した。
 これは整理するまでにかなりの時間を費やした。

日常の書籍の取り扱い
(1)基本的に図書館を活用する。
 名著、ロングセラーは図書館で借りて読む。どの図書館でもたいていは入手可能なので、これは便利。書き込みたいことがあれば、メモしてブログ等にアップすることで蔵書リストになる。
(2)購入する書籍の基準
・実用書、教科書
 これは書き込みをする書籍。役目を果たしたら廃棄処分。会計、資格、語学などがこれに相当する。
・ミステリー系、エンタメ系の文庫 ノンフィクション単行本
 読了後、3ヶ月に1度くらいにまとめて古書店に売却。
ユニークフェイスに関する書籍
 これらは厳選して購入して蔵書。本棚の空間が限られているので、その空間からはみ出るときは電子化して保存する。

ほとんど購入しなくなったもの
・雑誌
(インターネット経由で評判になった記事については、図書館で入手することがある)
自己啓発書
(一時期は集中的に読んでいたけれども、これらの情報はネットで収集できるようになっている。ブックマークしておけば良い。内容が手軽でチープな書籍は、ネットで書評がでており、その書評などの記事で満足することが多い。)

 あまり力を入れてこなかった蔵書としては、電子書籍がある。ほとんど買っていない。再読可能性が高くて、内容が自分の人生にとって重要なものは、購入する量が増えていくと思う。

 いろいろ書いたけれども、20年を超えて保管している書籍や資料はある。それはライフワークになる情報なので、ずっと持ち続けるしかない。蔵書方法は、実物か電子化するかはどっちでもよいと思う。

 

本で床は抜けるのか

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