石井政之の作業場

石井政之  作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会。---有料マガジンの登録をお願いいたします

『原爆』(石井光太 著)は、原爆の焼け野原を、被爆当事者たちが復興した、超弩級のノンフィクションである

 僕は、石井光太氏はノンフィクションの書き手として、天才のひとり、と思っている。原爆についての記録や小説は無数に発行されているので、いまさら,と感じていた。その、いまさら、という題材に、石井光太氏が取り組んだ著作である。

 1945年8月6日に広島市に落とされた原爆。その被爆の街を、人間が住む街として復興させていくために尽力した人たちをたどった歴史ノンフィクションだ。

「広島には、75年間は草木も生えない」

と言われた「死の街」広島を復興するために何があったのか。

僕はユニークフェイス当事者として、広島といえば,被爆によって顔面などにケロイドを負った女性たち、いわゆる「原爆乙女」については知っていたが、広島市の復興については知らなかった。

この『原爆』では,何人かの人物が軸になっている。

1人目は,原爆資料館の初代館長、長岡省吾。

2人目は、戦後の広島市の復興を主導した広島市長,浜井信三。

3人目は,広島平和記念公園の設計をした、丹下健三

4人目は、原爆ドームの保存に尽力した市職員,高橋昭博

 この人たち4人が全員,広島原爆被害の当事者である。

 丹下は被爆はしていないが,両親が広島原爆と空襲によって8月6日に死去している。被爆遺族である。

 このような当事者たちが、力を合わせて広島の復興に取り組んだ。

 丹下以外の3人の当事者たちは,原爆症に苦しみながら,復興の激務を担い、さまざまな困難を乗り越えて広島を蘇らせていった。

 こんな人生があったのか。

 驚きの連続の記述が続き、ページをくくる手が止まらなかった。

 

 日本におけるユニークフェイス問題を語る上で,避けては通れない事柄がいくつかある、と僕は考えている。

 ハンセン病。障害者。イレズミ・タトゥー。美容外科など。

 普通から逸脱した身体と外見をもった当事者たちがいかにして生きてきたか。美という価値観に人間は振り回されるのはなぜか。これらを考えることが,ユニークフェイス当事者でものを書くときにつきまとう。

 原爆は一瞬にして、多くの人々を虐殺したと同時に、無数の障害者と,外見にケロイドを残すユニークフェイス当事者を生み出した特殊兵器である。そういう認識はあったけれども,その被爆当事者がどんな戦いをしてきたのか。本書によって多くを知ることができた。

 

 

原爆 広島を復興させた人びと

原爆 広島を復興させた人びと

 

 

 

テキトーな禁酒をやめて、少し飲んでみたら・・・ただ眠いだけだった

 先日、テキトーに禁酒したので,テキトーな気持ちで,

すこしアルコールを飲んでみたら、

みるみるうちに,脳みその機能が低下していくのを実感してしまった。

端的に言うと、眠くなりますね。

やはり、アルコール摂取はやめよう、と改めて思った次第。

 

次は,珈琲を減らすことをすすめていく予定。

いまは午前中だけ、2-3杯飲んでいる。

これを1日1杯だけに減らす予定。

理由は、アルコールを飲まなくなったことと関係している。

珈琲を飲んでも、しゃきりしない。

なんとなくすっきりしないので、この際、減らしながら

集中力の様子を確認したいと思う。

お茶で問題なし、という気がしている。

 

 

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最後まで読んでいただき感謝します。読者登録よろしくお願いします。

 

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ユニークフェイス研究所  https://uniqueface.amebaownd.com/

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ユニークフェイスは個性?? 根詰めて考えちゃいけないんです。

 作家・朝井リョウ氏のインタビューがすごく良かった。

 

https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/ryo-asai

 

ユニークフェイス当事者として引きつけて読んでみると、

ユニークフェイスは個性なのか、という議論につながるような気がする。

僕はユニークフェイスをひとつの個性として位置づけて生きている一人。

そういう流れで人生が動き出したので、それに従っているだけ。

僕よりも若い当事者のなかには、その容貌を個性として使いこなせていない人がいることは知っている。

無理はしないほうがいい。

ユニークフェイスを個性として位置づけて生きる、というのは、まだ特殊な経験だから。

特殊な経験は劇薬。

劇薬は使い方を間違えると、心身に不調が出てくる。
ユニークフェイスは個性だと考えるときに、そんなしんどい個性なんか必要なし、という視点はとても大切。人間理解のためのひとつのキーワードくらいの感覚でよいと思う。

そうはいっても、当事者は自分のことを他者に説明しないといけない局面が出てくるし、それは避けられなかったりする。

そういうときに必要な道具は言葉。

ビジュアルイメージだけで、自分という人間を理解されることはしんどい。

それ以外の人間理解のための選択肢としては言葉だ。

だから僕はユニークフェイスという言葉を使って,こうしてblogを書いているしユニークフェイス交流会という場所で,言葉のやりとりを展開している。

ユニークフェイスという言葉がどれくらいの可能性があるのか、という実験。

ユニークフェイスという言葉や、ユニークフェイスという生き方が

『素晴らしい個性』の必須条件だろうか?? 

ユニークフェイスという言葉は、なんの保障もしない、いうことは明らかだ。

たぶん、自分の意味とか仕事の価値とかって、根詰めて考えちゃいけないんですよね。

 たぶん、ユニークフェイス当事者である自分の意味とか、ユニークフェイス活動という仕事の価値とかって、根詰めて考えちゃいけないんです。

 

 

 

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