作家・朝井リョウ氏のインタビューがすごく良かった。
https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/ryo-asai
ユニークフェイス当事者として引きつけて読んでみると、
ユニークフェイスは個性なのか、という議論につながるような気がする。
僕はユニークフェイスをひとつの個性として位置づけて生きている一人。
そういう流れで人生が動き出したので、それに従っているだけ。
僕よりも若い当事者のなかには、その容貌を個性として使いこなせていない人がいることは知っている。
無理はしないほうがいい。
ユニークフェイスを個性として位置づけて生きる、というのは、まだ特殊な経験だから。
特殊な経験は劇薬。
劇薬は使い方を間違えると、心身に不調が出てくる。
ユニークフェイスは個性だと考えるときに、そんなしんどい個性なんか必要なし、という視点はとても大切。人間理解のためのひとつのキーワードくらいの感覚でよいと思う。
そうはいっても、当事者は自分のことを他者に説明しないといけない局面が出てくるし、それは避けられなかったりする。
そういうときに必要な道具は言葉。
ビジュアルイメージだけで、自分という人間を理解されることはしんどい。
それ以外の人間理解のための選択肢としては言葉だ。
だから僕はユニークフェイスという言葉を使って,こうしてblogを書いているしユニークフェイス交流会という場所で,言葉のやりとりを展開している。
ユニークフェイスという言葉がどれくらいの可能性があるのか、という実験。
ユニークフェイスという言葉や、ユニークフェイスという生き方が
『素晴らしい個性』の必須条件だろうか??
ユニークフェイスという言葉は、なんの保障もしない、いうことは明らかだ。
たぶん、自分の意味とか仕事の価値とかって、根詰めて考えちゃいけないんですよね。
たぶん、ユニークフェイス当事者である自分の意味とか、ユニークフェイス活動という仕事の価値とかって、根詰めて考えちゃいけないんです。