石井政之の作業場

石井政之  作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会。---有料マガジンの登録をお願いいたします

次の選挙では、共同親権を推進する政治家に投票します

立憲民主党 ●●様

はじめまして。前回の選挙で、●●様に投票したことがある石井政之と申します。

ずっとアンチ自民党で、野党に投票してきました。
とくに野党第一党立憲民主党旧民主党)に。

しかし、つぎの選挙では、共同親権をつよく推進する政治家に投票することを決めました。
立憲民主党には、共同親権に反対する議員が多い、と考えています。
たとえば、●●選挙区の■■候補。
■■氏の存在は、立憲民主党に投票してきた人間としてまことに残念です。

●●様の力で、共同親権を推進する政治活動の活性化を期待しています。

よろしくお願いします。

 

 

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以下、Twitterの記録

 

前回に投票したことがある立憲民主党の政治家に、共同親権を推進する政治活動をしてほしい、とメールしました。共同親権に反対する政治家が、立憲民主党に多いのであれば、次は、ほかの政党の政治家に投票します、と伝えました。

勇気が1ミリも、1グラムもいらない、ごく普通の市民が出来る、ごく普通の政治参加の実践です。#共同親権

立憲民主党神奈川県総支部連合会

 

「親子の面会交流に反対」と主張する人たちの理屈について

共同親権に関するmemo

 

「親子の 面会交流に反対」と主張する人たちの理屈について

 

明解な分析のTwitterの投稿があったので貼り付けておきます。

匿名アカウントはあまり読まないのですが、たまにびっくりするほど明晰な分析が投稿される。この匿名アカウントは、その希有な例です。

 

同居親が婚姻時の不満を別居親にリンチする形でぶつけているに過ぎないのだ。 それを正当化するために別居親にDV加害者というレッテルを貼っているのがこの問題の根幹だ。

 twitter @HnaBdesu

 

 

 

 

 

 共同親権に関するmemo

ユニークフェイス当事者とメンタル疾患について

私が出会ったユニークフェイス当事者は、鬱病などのメンタル疾患の人が少なくなかった。

いま元気で生きているだろうか。

若いときはメンタル疾患のユニークフェイス当事者のために何かをしなくては、と思っていたけれども、いまは専門職に任せる、という心境になっている。
専門職の人がユニークフェイス当事者の心理を勉強する情報環境は20年前よりもできているはず。
私の知らないところで活躍している、ユニークフェイス当事者を治療する専門職の人も増えているはずだ。

専門職を鍛えるためにも、メンタル疾患のユニークフェイス当事者は、精神科医、カウンセラーをどんどん利用すると良いと思う。

「ユニークフェイス当事者が専門職を鍛える??」
そんなことを考える余裕はないだろうけれども、生命の危機、精神の危機の極限状態になったら、専門職に頼ることは第一優先。
それは今も昔も変わらない。設備もスタッフもいるのが専門職だ。医師法があるので診療から逃げることは出来ない。

ユニークフェイス当事者はその治療を通じて、専門職にできること、自分にできること、を整理する。整理できないとしたら、できるまで専門職の世話になるべき。

と書いてみたけど、私自身は、ユニークフェイス当事者として精神科医の診療を受けたことがない。だから実体験としてはわからない。このあたりについては、メンタルを病んだユニークフェイス当事者が体験談を書いてほしいと思う。

ユニークフェイス当事者の私がメンタルが壊れないでこれまで生きてこれたのは、嫌なことから逃げる、いやな人とのコミュニケーションを避けることをコツコツやってきたからだと思っている。
それは得意である。

ユニークフェイス当事者としてのサバイバル能力は高い方だと思っている。
サバイバル能力を伝えていくことはできる。そのひとつが言葉を使いこなすテクニックである。奥が深いテクニックだけれども、身につけると一生の宝になる。

文章術についてオンライン講座を企画したので、興味のある人は参加してほしい。

追記

ユニークフェイス当事者はどこにでもいる。そして、どこにもいない。ユニークフェイス当事者とは普通の人のことであり、ユニークフェイスとは、普通の人の悩みと困難である。その壁を越えて幸福に暮らしている人はいる。ただ、その経験が書き残されて伝承されていない。だから若い当事者は先人と同じことを悩み、それがきっかけで人生の袋小路につきあたる。それは特別な経験であるが、見方を変えたら、普通の経験である。
個性的な顔はある。個性的な人生もある。それはありふれたことである。生きるとは、たいしたことでない、特別なことではない。私ができることは、ユニークフェイス当事者にとって生きることが喜びとなるように、祈ることだけだ。