『他人の顔』を熟読して、才能ある作家でも、こんなもんか、という気持ちになったのは良かった。当事者の視点の書籍はないし、そういう書き手がでてくる気配は、当時の日本文学界隈に感じなかった。
『他人の顔』を読んでから、原爆乙女について調べて、彼女たちが広島の地元で差別されていたことを知った。アメリカのキリスト教団体によって外科手術のために渡米。気持ちが解放されて,そのままアメリカに移住したひとも出ている。これも勉強になった。
原爆乙女の当事者についてのノンフィクションは少なかった。外見にハンディキャップのある当事者の立場の、ノンフィクション作品が日本にはほとんどない、ということも気づいて良かった。
日本の患者会の多くは、代表者が、氏名と顔を出していなかった。専門医のかげに隠れるようで存在感がなかった。これも勉強になった。
日本の心理学・社会学の研究者で、外見とトラウマについて系統だった研究をした人はいなかった。これには驚いた。しかし、原爆乙女のノンフィクションを読んで、なっとくした。そういう国なのだ、と。
そういうことを考えながら原稿をまとめて、
1999年に「顔面漂流記」を発表した。