名古屋で健在の親父のことを思い出すことが増えている。親父は、ぼくのことを、「ジャーナリストの石井政之」「ユニークフェイスの石井政之」という立場で認識しない。親父は、一貫して、職業にアイデンティティを重ね合わせるという生き方をしてこなかったし、そのように人をみてこなかった。あの人は、僕の年収に興味がなかった。いつもいうことは同じだった。「飯が食っていけるならば、どんな仕事でもいいんだ」。それが僕に伝えた唯一の倫理というか生き方の指針であった。したがって、僕のことをただの「政之」と認識している。
僕が大学卒業後に肉体労働系アルバイトを転々としていたとき、フリーライターになったとき、書籍を出したとき、ユニークフェイスをはじめたとき。僕は親父に相談は一切しなかった。動くと決めてから、報告する。収入がないときは援助をしてもらった。親父も、「どうせカネがないだろう」と出してくれた。僕から頭を下げてカネが欲しい、と言ったことはない。つねに、僕のニーズを先取りしていた(苦笑)。
自分が親になっているわけで、その自分の指針は、自分の親にある、というまっとうなことを気づかされている。そういうことも、有料メルマガ「イシイジャーナル」で書いていこうと思う。
「人間にとって顔とは何か」から「家族とは何か」。関心事は動いている。
物書き、ユニークフェイス以外にもやりたいことが増えているし、やらないといけないことが増えている。ただの「石井政之」であることが重要。多面体な人間としての石井政之。そういうフツーのことを考えている。これまでがあまりにも、ひとつのアイデンティティにこだわってきたのだろう。