禿げる権利をもとめるスキンヘッド女性の人生からわかった「障害」とは何か
ある問題に直面している当事者が、同じ境遇にある当事者を研究する、という「当事者研究」という分野がある。分野として確立されているのかは分からない。ムーブメント、といったほうがいいかもしれない。精神疾患の当事者が、自助のために集まって生活を共にすることからうまれた言葉である。
本書のなかに収載された論文のなかで、冒頭のそれが、まさに当事者研究である。本稿では、その論文に絞って言及する。
「女性に髪の毛がないこと」とはどのような「障害」なのか。
スキンヘッドで生活する脱毛症の女性を事例として
吉村さやか
脱毛症の当事者である吉村(社会学の研究者)が、脱毛症でスキンヘッドで生活している女性を聞き取りして得た知見を報告している。
いわゆるハゲについてまじめな社会学研究は少ない。
男性のハゲを社会学の視点で研究した須永史生の『ハゲを生きる 外見と男らしさの社会学』(1999)があるものの、それから20年経って目立った書籍は出ていない。
さまざまな身体の異形、外見の逸脱をテーマにした拙著『迷いの体』(石井政之 2001)では、カツラカウンセラーの女性の人生についてたどった。
ふたつの著作で分かったことのひとつは、男性のハゲは語りやすいが,女性のハゲは語られてない、というジェンダーの違いである。
他にも一般向けのハゲについての書籍はあるが、当事者女性(阿部更織)が書いたものを除くと、男性の書き手による、男性のハゲについての書籍である。
ハゲの社会学研究について女性が取り組むということが、この20年、無かったのである。この空白を埋めるのは誰なのか。
本書によって、吉村がその空白を埋める書き手になったことを、確認できた。
過去の論文のなかで、吉村は自分自身のライフヒストリーを研究の遡上にあげている。準備は整ったのだろう。自分自身のことを書いた後に、ほかの当事者のインタビュー。これは当事者ならではだ。
円形脱毛症の当事者の「生きづらさ」が整理されている。
第一に、治療費の問題がある。円形脱毛症の原因はまだ解明されていない。そして治療法も確立していない。よって治療は実験的になる。目立った効果がないまま、高額の治療費を使うことになる。
第二に、カツラ(義髮)のコストがある。オーダーメイドでカツラをつくる。人毛を使うので高額だ。ひとつ数十万円の出費。直接皮膚に接触するため、1-2年に一度は買い換える必要がある。
第三に、差別や排除の対象になるリスクがある。現代日本社会では、ハゲた女性は、いないことになっている。脱毛症をさらして生活する女性はほとんどいない。
第四に、理解者の不足による孤立である。ハゲはからかいの対象になりやすい。ハゲが理由による生活の支障、差別やイジメ、孤立について一般の人は知らない。
僕は、さまざまなタイプのユニークフェイス当事者と出会ってきた。疾患と治療方法の違いはあるものの、差別や排除の対象になるリスクと、理解者の不足による孤立は、当事者が直面する普遍的な「障害」であると考える。
吉村は、夫と息子がいる女性を丹念にインタビューすることで、その生活誌を記録、分析している。
4つのステップが見いだされたという。
①帽子生活
脱毛症にショックを受けて、帽子をかぶり、社会から引きこもる。治療をもとめるが、治らないと塞ぎ込む時期。
②カツラ生活
カツラをつける生活に慣れていく。高品質のカツラを着用することで、「普通」の外見になり、外からは円形脱毛症であることがわかりにくくなる。その代わり、ハゲがばれないための工夫が生活に入り込む。
③ウィッグ生活
自助グループで同じ境遇の脱毛症当事者と出会い、治療にこだわらくなる。カツラを脱毛症を隠す道具ではなく、おしゃれを楽しむものとしてとらえ、ラクな生活ができる時期。
④スキンヘッド生活
治療とカツラにかける経済的負担と、活動制限を面倒と思うようになり、スキンヘッドの生活に完全に移行している現在。
これを女性のライフステージである、出産、育児、子どもの成長、という段階ごとに分析している。
この研究に協力者した女性(論文では実名、顔写真を公表している)は、
いま、「女性にも禿げる権利が欲しい」と啓発活動に取り組むようになっている。
女性も男性と同じように、禿げた外見であたりまえに生活できる。
そのために、社会の側にどんな「障害」があるのか。吉村は、ひとりの当事者女性の人生から、その「障害」を見いだしていく。
ユニークフェイス、外見差別、ルッキズムに関心のある人にとって必読の論文である。