「リンパ管腫」から「リンパ管奇形」に、名称が変わるらしい。
この情報を読んで感じたことをメモに残しておく。
21世紀なのに、疾患名に「奇形」という言葉は NGでしょう。
「リンパ管腫」のままで良い、と思う。
当事者は学術的な意味での病名を決められない。これは仕方が無い側面がある。
決めるのは専門医たち。
この人たちが、ユニークフェイス当事者を「顔面醜状」と名付けてきた。
当事者が自分たちの状態を名付けていく。これは大事な作業。
試行錯誤のひとつが、ユニークフェイス。
ただし、疾患名が当事者たちの声によって変わった事例はある。
呆け老人から、痴呆症。痴呆症から、認知症。
医学知識のない普通の人は、いまでも「呆けた」と言うけれど、新聞報道や公式な文書では「呆け老人」という表記はほとんどなくなった。
専門医のミッションはその病状の治療。
当事者の人生に責任を負う職責ではない。
当事者の人生は、本人と家族が決める。
ぼけ老人という言葉では、当事者と家族が困ってしまう、という状況がうまれた。だから名称は変わった。
「リンパ管奇形」よりも「リンパ管変形」のほうが、よいかもしれない。
奇形、という日本語表現は避けるべき。
「奇」という日本語には、モンスターの意味合いがあるから。
日本の医学研究者のなかには「奇形」という表現でかまわない、という言語感覚があるのだろう。
専門医のなかで通用する表現であれば、はじめから英語表記で良い、と思う。
無理矢理、日本語に翻訳する必要はないのでは。
「リンパ管マルフォメーション」
英語をそのままカタカナ表記にすると、差別的なニュアンスがなくなってしまう。
これが日本語表現の不思議さだ。
もし、「単純性血管腫」が「単純性血管奇形」と表記されたら、と考えてみる。
他人事ではない自分のこととして。
とりあえず、「奇形」という日本語表現に抗議すると思う。
それで専門医の姿勢が変わるとは思わないが、
ブログに「奇形」という表記に抗議すると書くらいはするだろう。
抗議の署名活動は面倒なのでやらないと、思うけれど。
病名が正式に決まると、マスメディアがそのように表記し始める。
当事者に影響がまったくない、とは考えにくい。
病名に「奇形」がはいる影響は、とくに子どもの当事者にある、と思う。
病名をすなおに受け入れられない、そのために、病院を受診することをためらって、適切な治療をうける機会を失う人もでるかもしれない。
かように、適切な病名とは考え始めると、複雑な問題をはらんでいる。
追記 2023/02/27
もし、仮に「乳がん」を「乳房細胞奇形」と表記したら、抗議が殺到するのは間違いない。患者が多いし、政治力も持っているから。
やっぱり、いまどき「奇形」という言葉を日本語の疾患名でつける、という姿勢は時代遅れでしょうね。
専門医は、すべて英語の疾患名でコミュニケーションをすれば良いのでは。
日本語の疾患名は、「奇形」「異常」「逸脱」などの意味合いをもった形容詞を避けて、ニュートラルな言葉を選んで命名するべきだと思う。
なぜならば、当事者、患者は、一生、その疾患名を説明することになるから。
「奇形」と説明するのはしんどい。とくに未成年の当事者にとっては、苦痛だろう。