石井政之の作業場

作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会

自画像










 某日、大きな仕事の準備を少々。



 関連して、メディア関係者に、アザの顔にメイクするノウハウについてレクチャー。このカモフラージュメイクのノウハウと当事者心理については、来年のうちに本を出したいと改めて思う。大勢の人間にメイクをするシーンを見つめられ、さわられる練習台としてのストレスは、書籍でプライバシーをさらすのとはレベルが異なる。ハードなストレスである。本を出すことで、メイクを学ぶ人に情報を伝えて、練習台としてのストレスの軽減を図りたい。切実な問題である。このストレス軽減策が講じられていないので、カモフラージュメイクのシステム化が頓挫しているということを確信しつつある。



 メイクをされながら、カモフラージュメイクを講義すると、精神の消耗が著しいのだ。この消耗感が、メイクする側に伝わらないために消耗感がさらにアップするのである。メイクすると幸福になるという信仰と私は無縁。それが伝わらない歯がゆさよ。このディスコミュニケーションがある限り、原稿を書きつづけることになるのだろうが。



「顔面バカ一代」の見本が届く。さっと眼を通して、昔の自画像を読み取り、身を退く(笑)。しばらく読み返すことはないだろう。



9月末にも1冊新刊がでるが、ここでも、自画像を露出しているわけで、悩ましいところ。見本誌をみて、また、ため息をつくのだろう。



言論統制」(中公新書 佐藤卓己)を読み、名著「敵の顔」(柏書房)の翻訳者であったのか、と気付く。敵の顔のメタファーにすることで、大衆心理を操作する社会構造については、もっと勉強しておかねば。「敵の顔」はつねに異形である。サカキバラ少年の容貌は異形でなかったために、中村うさぎ氏が、ガッカリしたわけ(詳細は『自分の顔が許せない!』を読んでね)で、このガッカリ感とは何かという考察も必要。