311から2年。2013年3月11日は、普通に仕事をして、一日が終わりました。地震報道については、日ごろからツイッターで情報収集しているため、テレビ映像としてすこし見た程度。
未曾有の災害でしたが、その災害によって日本人が変わったのか、変わらなかったのか、という議論は、だいたいけりがついたと思います。
日本人はあまり変化しない、能動的に変わる、ということは少ない。ということは言えるでしょうね。
一部の起業家と若者の動きには大いに期待しています。
地震の記憶が風化している、という話があります。そうかもしれませんが、風化をさせないぞ、という努力をしているジャーナリストのツイッターを読み、その書籍を読んでいけば風化することはない、と思います。少なくとも私の中では風化はしていません。
今年48歳。いわゆる美談報道を見ても、ひとつの社交辞令表現だな、と思うだけで、心は動きませんが、その美談報道という社交辞令も必要。過酷な現実ばかり報道されると、疲れますから。非当事者というのは、わがままで、自分の生活に大きな影響が起きないマイルドな表現を選択していきます。それはしょうがない面もあります。
私も、家族のだんらんの時間に、すごい映像表現が出てくると、子供はどう思っているのかな、と考えますし。交通事故のニュースでも、「なんで自動車が壊れたの?」。殺人事件のニュースでも、「死んじゃったの? ナンデ?」と子供は反応しますから。
個人的には、311から10日くらいの報道番組を編集して、ツタヤでレンタルしてほしいですね。収益は、寄付にして被災地支援に回す。
いまも気になっているのは、原発が爆発したときに、大丈夫です、安全です、メルトダウンは起きていません、と発言した専門家の発言。あれはひどかった。科学をふつうに勉強していたら、放射能が拡散していったことは自明でした。あのデマ報道は、再放送してほしいですね。再放送は、公序良俗の観点から厳しいとしても、ツタヤでレンタルできるようにしてもらえるとありがたい。
誤報、デマ、情報統制・・・・いろいろなことがありました。それを再度、見直したいですね。