4月、都内で開催された勉強会に参加して、旧友と再会した。
ドーナツトーク代表の田中俊英氏だ。
僕はいろいろな職業を経験している。
その一つが、大阪の医療専門出版社さいろ社だ。
そこで編集記者をしていた。
田中さんはさいろ社の創業メンバーのひとり。彼が退社した時期に、入れ違いで、僕はさいろ社に参加した。
田中さんは、さいろ社の編集記者から、不登校の子どもたちを支援する活動に向かった。
いまでいう、ひきこもり当事者支援だ。
ネットでその活動は知っていて、SNSなどでつながり、テキストで意見交換をして雑談はしていた。
最後に会ったのは1998年の秋だったと思う。
僕はさいろ社を退社することになり、「顔面漂流記」の草稿をかかえて出版社に売り込んでいた。
京都の出版社から出版が決まった頃に、送別会をやっていただいた。
さいろ社スタッフ、愛読者、取材協力者と飲んだ。
最後の言葉は,さいろ社の編集室だったか。
「また、会おう、と言っても、僕は大阪で臨床哲学を勉強するし、不登校支援で忙しいから東京に行くことはないだろう。石井君とはもう会うことはないと思う。お元気で」
このサバサバした言葉をよく覚えている。
僕も、「そうですね。お元気で」と応じた。
その別れの後に、僕は東京に向かったのだ。
あれから20年。
田中さんと何度か会おうと声をかける機会はあったが、すれちがっており、会えずじまい。
都内の勉強会の情報をSNSで知って都内にむかった。
20年ぶりに会って、お互いの健在と、老化を確認。
スピーカーとしてのトークに耳を傾けながら、
NPOや社会貢献活動のリアルを、虚飾なしに語る姿を見つめることができた。幸福な時間だった。
さいろ社で過ごした時間は,青春だったのだと思う。
理想を語り、ノンフィクションを書き、編集した。
その過程で、それぞれのスタッフが自分の人生を模索、選択していった。
田中さんは、不登校問題にのめり込む。
さいろ社の創業者の松本康治氏は、いまや銭湯文化の伝道師になっている。
僕は、顔面問題に取り組んで、NPO法人ユニークフェイスをつくり、それを解散させて、さらに活動をひとりで再開して、いま成り行きで、首都圏の片隅で生きている。
勉強会が終わり「じゃ、また」と別れた。
次に会うのはいつになるか分からない。
そういうサラリとした出会いと別れが、じつに心地よかった。
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