『山谷をめぐる旅』(織田忍 新評論)読了。
主に山谷で訪問看護の仕事をしている著者が、そこで見聞し、体験したことを記録したノンフィクションである。
若くして結婚、出産育児をしてきた織田は、離婚してフリーライターに。物書きだけでは生活が苦しい。一念発起して、35歳で看護学校に入学し、看護師になった。その後、山谷をフィールドとする法人で訪問看護師として仕事をしている(今も)。
織田と出会ったのは、たしか、長野県の高遠だった。10年ほど前か。高遠でブックフェスティバルがあり、私は出張で出かけていた。ワンボックスカーのなかでデスクワークができる、というオーダーメイドの車両を展示する営業マンとして。
当時の織田は、若くしてアフガニスタンで亡くなった南條直子という報道カメラマンの評伝を編集していた。私は二十歳ころ報道カメラマンにあこがれていた。南條直子がアフガニスタンで爆死した、という新聞記事をよく覚えている。その後、南条の遺作となった書籍『戦士たちの貌』も読んでいた。織田と南條直子について会話したことは記憶している。
その後、私は川崎に移住。織田と再会した。私は京浜工業地帯でタクシードライバーをはじめたばかり。織田は山谷の看護師として働いていた。
おたがいに、フリーのライターとして能力不足だった、と頷き合い、飯を食うために選んだ仕事が、普通からすると危険度が高い場所だ、と共通点を話した。
その織田が、自分の体験と取材した成果を記録した書籍が『山谷をめぐる旅』である。
プロローグが良かった。自分自身の人生を真正面から書いている。自分はこういう人生だった、綺麗事抜きの事実を書く。しっかり仁義を切ってから、山谷という地域の歴史をたどっていく。さまざまな理由で共同体や職場、普通の生活から排除された人間たちが、この場所にたどりつく。最後のセーフティネットの歴史。
その記述のあとに、山谷で生きて死んでいった人間たちの表情と肉声が記録されていく。そこには、織田と同じように、労働者、困窮者の支援に携わっている支援者、いわば織田の「同僚」たちの人生も描かれていく。
織田は「山谷を書く」と周囲に話したとき、次の言葉を返されたという。
「闘う労働者もいない、閑散としたこの街に、いったい何があるんですか?」
高度成長期に山谷に集まって、警察やヤクザと戦争をした男たちは、みな高齢者になり病者、身体障害者、アルコール依存症などの「福祉」の対象になっている。その多くが生活保護受給者だ。
そこには「闘い」は、ない、というのだ。
織田は、それは違う、と考え、抵抗するべく言葉を綴っていく。
そのなかには、山谷に移住して写真家修行をしていた南條直子がいる。若くして公園で自殺した若者の人生がある。すべての記憶をなくして鎌倉で行倒れた老女の看取りがある。山谷で芸人として生き、その死に、大勢の仲間があつまり拍手とともに見送られた男がいる。
みんな闘っていた。社会の理不尽と。
警察とヤクザと戦争するだけが山谷ではないのだ。
山谷はいまも人を惹きつけ続ける磁力を持っている。
それは「敗北感」だという。人生のままならなさに苦しみ、ときに人間は何かに敗北する。その敗北感こそが、この場所で働き、生きる人間たちの共通意識であり、仲間をつくる鍵だというのだ。
本書はなにかに敗北したことがある人間にとって、興味深いノンフィクションになっていると思った。
私は、本書を読みながら、自分の人生のなかの、いくつかの大きな敗北を思い出してしまった。それゆえに読むのに時間がかかってしまった。
以上
