がん医療を批判して注目された、医師の近藤誠さんが8月13日亡くなられた。73歳。
私は、大阪の医療出版社さいろ社で、編集記者をしていたときに、彼と面識を持った。さかのぼると、そのまえに、名古屋で医療裁判専門の弁護士事務所に事務員として働いており、そこで医療過誤の勉強会があって、近藤誠さんを遠くから見たことがあった。
いまから30年くらい前のことだ。
当時の近藤誠さんは、40代前半だったのだろう。
その当時の、日本の乳がん治療は、ひどいものだった。乳がんになったら全摘手術が一般的だった。なかには両方の乳房を切除されて、悲嘆のあまり自殺した女性がいた。
乳がん患者の当事者団体は、これに抗議して温存療法をもとめていた。
この当事者団体は、数年すると代表者が乳がんで死亡して、次のリーダーもしばらくすると死亡する、という壮絶な患者会だった。
その状況で、近藤誠さんが「日本の乳がん治療は世界標準の治療から遅れている。全摘手術はもっと慎重に決断すべきだ」と医療界を批判した。
この発言に文藝春秋が注目して、その著作はベストセラーになった。
さいろ社は近藤誠さんから信頼を得て、一冊の書籍を世に出した。
「ぼくがうけたいがん治療」
その編集作業を横で見ながら、私は近藤誠さんの執筆活動を追いかけていた。
患者の権利のために、医療事故調査会にも関わり、臨床医師としての活動。多忙を極めていた。
その後、私は、さいろ社を退社して、上京し、ユニークフェイス問題を書くライターになった。
近藤誠さんとの接点はなくなったが、書店でいくつかの書籍を読んでいた。
同じような内容の書籍を、違う出版社から出し続けていく。
精緻な議論から、大衆的な雑談に変容していく。
がん治療をしたくない、という患者が、近藤誠さんのもとに集まって、
結果として、がん治療のタイミングを逸した、という情報がSNSで流れる。
医療界の批判者が、トンデモ医療の人になっていった。
ネットでは近藤誠批判があふれている。
毀誉褒貶のある人物なのだろう。
しかし、30年前に私が出会った、近藤誠さんは、閉鎖的な医療界を批判した、まごうことなき勇気ある医師だった。
ご冥福をお祈りいたします。
追記
2022/08/17
ユニークフェイス・ラジオでも語りました。