何人かの尊敬する作家、文筆家が、クリスチャンだったことなどがあり、キリスト教への興味がわきあがってきた時期があった。
キリスト教の教会にいって、礼拝に参加したり、聖書の勉強会に参加したこともある。
私は昔から神の存在を疑っていた人間。
牧師に神がいるのか、という話題を振って議論を求めたこともある。
ユニークな経歴の牧師に会いに行ったこともある。
数年間、そういう経験をした。
川崎で、そろそろ洗礼を受けてみるかな、と思った。
そのことを教会の人に話したら、すごく喜んでくれて、洗礼を受ける前に必要な知識を伝える、というので説明を受けた。
神がいるのか、いるとして、なぜ信仰するのか。
という議論をしようとしたが、説明をする役目の人は、そういう議論をするタイプの人ではなかったので、私が空回り。
で、洗礼を受けるとどういう義務が発生するのか、と質問。
礼拝に出ることと献金。
献金はいくらぐらいなのか。
収入の##%が目安です。
「洗礼はやめよう」と、決めた。
世話になった人の前なので、その場では言わなかったが。
組織の維持運営に経費がかかかるのは理解できる。
キリスト教の教会は、世界最古のNPOのひとつであり、献金の明細について報告書を出していることも知っている。ちゃんとした組織である。
ただ、その献金を毎月支払うことによって、私は何を得るのか、と考えた。
あまりメリットはない、と思った。
私はキリスト教の神を信じる、信仰の人間になるタイプではない。
神の存在って何だろう、と考えたいし、その信仰する人たちが作り上げてきたもの、を観察したり考察したい。
洗礼を受けて、NPOキリスト教のメンバーになって内部から観察する。
面白そうな道だけども、それほどの関心はない、と。
それからキリスト教の教会から足が遠のいた。
いまは京都に移住。
京都は、さまざまな種類の宗教の総本山がある宗教都市。
神道、仏教、キリスト教、新興宗教、カルト教団などが、それぞれの教義にしたがって宗教活動をしている。
神社仏閣にいくと、お守りなどの宗教グッズが販売されており、観光産業の重要な収入になっている。
観光を楽しむと、京都の経済に貢献し、京都の宗教法人にも貢献する、という街になっているわけだ。
これは、トヨタ本社の愛知県に住んで暮らしていると、自動車産業の大きさを実感することと似ている。
京都という宗教都市で暮らしていると、宗教ビジネスの大きさを実感する。
宗教への興味は薄らいでいないが、キリスト教への興味は薄らいだ。
いま京都検定の勉強をしている。
京都検定の教科書には、キリスト教についての記述はほとんどない。
京都を舞台に、さまざまな権力者と宗教者が、政治の駆け引きをして、日本の政治を動かしてきたこと。それを学ぶことが面白い。