Twitterで話題の仏教説話マンガが、記事になっていたので読んでみた。
人殺しの悪人が僧になって旅する話(1/8)
— 瀬川環 (@segawatamaki) 2020年8月30日
今昔物語の中の一話です。 pic.twitter.com/BX7eDxghMN
ひとりの極悪人が、僧侶と出会うことで、仏の道をもとめる人になっていく、という話しである。
読了して、葬式ビジネス仏教になってしまった、現代の日本仏教界では、こういう人はほとんどいなくなってしまった、と思った。
さらにいえば、僧侶という職業も世襲が普通になってしまった。
親の代から引き継いだ建物、墓などの相続をする人になった。
したがって、宗教的な啓示体験をしたうえで、仏教の道に足を踏み入れる人も減少している。
極悪人が宗教に目覚める、といえば、キリスト教プロテスタントには少なくない実例がある。
ヤクザ、覚醒剤売人、受刑者などの経験を経て、あるとき聖書と出会って牧師になる。そういう人がいる。
いわば、悪人正機を実践しているのが、現代キリスト教と言える側面がある。
日本の仏教は、宗教としての力が弱っている。
このマンガを読んだ後に、Amazonプライムで、アニメ映画『アシュラ』を鑑賞した。
究極の飢餓状態のなかで生き残った一人の赤子が、
生きるためには人肉を食べる、という獣のような生き方のなかから、言葉を習得し、仏の道に入るまでの物語になっている。
大水害によって、村の農作物が全滅し、報償である米を手に入れるために、村人たちが、ひとりの少年にすぎないアシュラを山狩りで追い込んでいく。
飢餓において、普通の人たちが、異端を排除差別して殺そうと一致団結する様を描写している。
どちらが人間なのか。
どっちも人間なのである。
追記
現代の日本仏教は、寺院という不動産を拝む、という気がしている。不動産なくして信仰なし。キリスト教は、聖書から学んで神に祈る。寺院と墓という不動産をできるだけ最小限にしたら、仏教が再生できるような気がしている。