SNSで評判だった書籍を、ようやく読むことができた。
どもり、吃音について書かれたノンフィクションだ。書いたのは、吃音の当事者のライター。吃音を理由に日本の会社に就職できないと思った著者は、海外放浪をしながら現地で原稿を書いて生きていこうと決めた。なんの実績もなかった彼は、吃音なら書けるだろうと思い立ち、取材をして記事らしいものをまとめた。それを雑誌編集部に売り込んで掲載してもらうことに成功する。その実績に自信をもった彼は、結婚したばかりの妻を伴って放浪と執筆の旅に出た。
彼は、ライターとして実績を積み帰国。吃音についてのノンフィクション作品を形にした。それがこの本だ。
高橋という吃音の当事者が出てくる。彼は重度の吃音。絶望して17歳のときに飛び降り自殺を図る。奇跡的に一命を取り留めた高橋は、30代になっていた。娘と暮らし、非正規雇用の貧困のなかにあった。生きるために、吃音を治すために、専門家の訓練を受けている。すこしずつ成果がでてきて、なめらかに話しができるようになっていく。
吃音、どもりの当事者は日本国内に約100万人いるという。そんなにいるのか。いわば、見えない当事者である。その苦悩は、軽く見られている。当事者は、対人コミュニケーションの現場で、話したいことがあっても、それを口に出すことができないという深刻な悩みの中にある。吃音の原因は不明。科学的な解明がはじまったばかり。ややこしいのは、吃音とは、その当事者のおかれた状況によって、症状が発現したり、出なかったりする。ある当事者は歌うときはどもらない。教科書を朗読するときはどもってしまう。電話対応のときはどもってしまう。それぞれの当事者によって、吃音の状態が違うのである。
ひとりの当事者が自死する。遺族は、その原因を究明するべく動きだす。その取材を通じて、吃音当事者の苦悩が社会に伝わっていないことが分かってくる。遺族の努力もあり、その吃音当事者の自死が、マスメディアに報道されて、吃音への無理解は当事者を自死に追いやる、という現実が伝わるようになった。
欲を言えば、海外取材の経験があるのだから、海外の吃音当事者の声があればよかった。日本の当事者と、海外の当事者の、吃音にたいする向かい方の違いや共通点も知りたい。
僕が、ユニークフェイス当事者として書籍を出して、自助グループとしてのユニークフェイスを立ち上げたとき、吃音当事者のあつまりである言友会から講演の依頼を受けたことがある。2000年頃だったと思う。そのとき、大勢の吃音当事者と交流した。僕は、吃音当事者がなぜユニークフェイス当事者に共感するのか、その当時はよく分からなかった。
20年たって、本書を読んで、その理由がわかったような気がする。
潜在的な当事者の数の多さ。
吃音という症状をかるく見られる苦悩。
カミングアウトする当事者の少なさ。
自己肯定感が低く、鬱病や希死願望がある。
治療することで苦悩から決別したいという当事者と、その症状と折り合って生きていくという当事者など、多様な考え。
その境遇は明らかに社会からの差別なのだが、差別と社会と批判することなく、自分が吃音だからと自責の念のなかに沈む当事者たち。
専門家が少ないので、当事者が当事者を支える、という構造がある。
親の苦悩。
完治するのか分からない不安。
健常者ではない、障害者でもない、宙ぶらりんの感じ。
列挙したら、ユニークフェイス当事者と、吃音当事者の共通点は多いのである。
ユニークフェイスとの違いがあるとしたら、吃音当事者には男性が多いという傾向があるようだ。したがって、取材協力者も男性に偏りがある。
ユニークフェイス当事者の場合、カミングアウトする人、自助グループにやってくる人は、女性が多いという傾向がある。
さまざまな角度から読むことができる傑作ノンフィクションだ