なるほど。示唆にとむ指摘。理解や共感では、ユニークフェイス《facial difference》差別はなくならない、ということは感じていたけど、その言語化は難しかった。なるほど。
市場、家族だけがあって「社会」がない、という日本の特有な問題は、当事者と話していると感じてきた。
「外見が理由で生きづらいのではない。外見による差別がある社会に問題があって生きづらい。」
と説明しても、きょとんとされる。当事者にも。非当事者にも。
そこが日本で差別を語るときの難しさ、壁だった。
差別やマイノリティを問題にする際に、一直線に理解や共感という問題に結びつけてそれしか考えられないような日本型反差別の特殊な思考様式を問題にしなければならない。
— 梁英聖Ryang Yong-Song@『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) (@rysyrys) February 10, 2020
反差別規範や第三者介入を私たちがずっと強調し続けてきたのは、理解や共感に踏み込む以前の問題として差別の問題を立てたいから
社会など存在せず市場と家族しか存在しない日本型企業社会では、差別やマイノリティの問題は、社会的なものの規範としては立てられず、主体の関心の問題となる。
— 梁英聖Ryang Yong-Song@『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) (@rysyrys) February 10, 2020
マジョリティの理解を求めようと妥協するか、マイノリティの告白にのみ真理を置く日本型PCに陥るか。
主体の関心に訴える以外の逃げ道ゼロ