石井政之の作業場

作家、編集者、ユニークフェイス研究、「ユニークフェイス生活史」プロジェクト、ユニークフェイス・オンライン相談、横浜で月1飲み会

「丸刈りで謝罪」という儀式は、なくしたほうがよい日本社会の風習のひとつ

丸刈りでは謝罪のしるしにはならない。という真っ当なことを、当事者の研究者が指摘しないといけないのが日本社会の独自性。丸刈りで謝罪、という儀式は、なくしたほうがよい日本社会の風習のひとつ。

「丸刈り=反省」パフォーマンスなのか 見た目問題追う記者の違和感前法相らの公職選挙法違反事件をめぐり、現金の受け取りを認めた広島県内の市長が謝罪の気持ちを示すために丸刈りになりました。すwithnews.jp

さまざまな疾患・ケガなどが理由で、頭髪がない、またはほとんどなくなった当事者からみると、「丸刈りは反省する行為」という意味づけは、生きづらさを強いられることに繋がる可能性があります。
とくに、未成年の当事者にとっては、社会から無用なラベリングをされることになりかねません。
この丸刈り報道は、前法相らの公職選挙法違反事件をめぐる贈収賄事件からでてきた情報です。
情報を受けた私たち市民は、丸刈り反省報道は、事件の本質とは無関係だと認識することが大事でしょう。
犯罪行為(またはその容疑がある)をした人間が、丸刈りをしたときに、社会の側が「丸刈りは反省の態度とは関係がない、真摯に説明して警察などの捜査機関に協力することが最優先だ」と認識する。
それが重要です。
場合によっては、報道機関に対して、「丸刈り反省報道はやめてほしい」と伝えていくことも必要になるでしょう。